歴史探訪

(史跡第150号)

弥勒寺址

ミルクサジ

石塔

1914年に日本人が修復した石塔
(※展示写真から)

弥勒寺は弥勒山の南の谷にあった百済時代の寺で、武王朝時代に創建された。 (13世紀末の歴史書『三国遺事』)

弥勒寺には塔と金堂(大雄殿)が3カ所ずつあり、ふつうの寺院形式(一塔様式)とは異なる 独特なものだった。

3つの塔のうち、西にある塔が弥勒寺址石塔(国宝第11号)だ。

西暦600年建立と推定され、花崗岩で木塔の形を作った最初の塔であり、 百済人の独創的な作品として、歴史的に高い価値があるとされている。

現存する塔は6層で高さは14.24m。

解体工事
大規模な復元作業を行うために解体中
残念ながら現在は修復作業中で、その偉容を見ることはできないが、 作業の様子は見学することができる。

作業場(?)の周囲には発掘当時の古い写真などがパネル展示されているが、 白い韓服姿の男性が石塔の一階部分にたたずんでいるものや、 日本の軍人らしき人物が瓦礫の山のような状態の石塔の上でポーズをとっているようなものもあって、 なかなか興味深い。

1914年、崩壊の激しい西側が日本人によって セメント補修されたが、石塔が本来は何層だったのか… といった疑問も解決されない不完全なものだったらしい。

考古学上も、美術的にも価値のある石塔だけに、2008年まで行われる 大規模な修復作業と研究の成果を期待したい。

■幢竿支柱 (どうかんしちゅう) 解体工事
境内には高さ395cmもの幢竿支柱があり、 かつての大寺の記憶を伝えている。
これは儀式(庭儀)を行うために掲げる大旗を支えるための石の柱で 大きさによって寺院の規模がわかると言われている。
有名な桐華寺(大邱)の幢竿支柱の高さが310cmであることを考えると、 弥勒寺がいかに大きいか想像できよう。
これほどの大寺でありなから弥勒寺がいつ消失したか、はっきりしていない。
儒学者の康候晉(1724-1800)が記した「臥遊録」という文集に 「弥勒寺に来たら農夫たちが塔に上がって昼寝をしていて、塔は100年前に壊れたと言っていた」 という記述があるそうだ。

このことから、廃墟になった時期は17世紀の壬辰の乱(文禄慶長の役)前後と推定されている。
館内のパネルにもそういった記述があるので、「ここでも秀吉ねぇ…」と思ったのだが、 太閤の悪行というわけでもないようだ。

『三国史記』(1145年、韓国で最も古い歴史書)には、弥勒寺に雷の被害があったことが 記録されているという。
発掘調査では統一新羅時代の遺物が集中的に出土していながら、それ以降の遺物が ほとんど出ないことから落雷被害が指摘されているらしい。
そうなると消失の時期はさらにさかのぼることになる。

隣近地域に 伝わる 口伝には風水地理説も登場するらしいが、 やはり各地の仏閣と同様、儒教の広まりとともに衰退した可能性が高いのではないだろうか。

■薯童(ソドン)の説話
『三国遺事』には<薯童謡>という郷歌が収録されている

五金山のふもとで、夫を失った貧しい女が暮らしていたが、ある日龍と交わって男児を産んだ。 子どもは美しい容姿をもっていたが、薯蕷(山芋)を掘って売ることで生計を立てていたので <薯童(ソドン)>と呼ばれていた。

成長した薯童は新羅の真平王の3番目の王女<善化(ソンファ)>の美しさにひかれ一計を案じる。 「善化は薯童を隠しておいて夜毎会いに通う」という歌を子ども達に歌わせることで都に流行らせたのだ。 これが王の耳に入り、善化が宮廷から追い出されてしまったので薯童は善化と 夫婦になることができた。

二人は百済の地で暮らし始めたが、善化が生活のために母からもらった黄金を使おうとすると薯童が言った。
「それが価値のあるものならば私の畑にいっぱい埋まっている」
富を手に入れた薯童は龍華山師子寺(現在の弥勒寺址の場所)の知命法師の神通力を得て、 善化の手紙とともに宮廷に送り、父王に気に入られて王位に就いた。

ある日、武王(元薯童)が善化とともに知命法師を訪ねて師子寺に行く途中、 境内の池に弥勒三尊が現れた。 礼拝した善化は「この地に大きな寺を建てたい」と願う。
武王は知命法師に命じ、 神通力をもって山をくずし池を埋め一晩で平地をつくった。 真平王は工人100人を送り込んで協力し、この地に殿、塔、廊(ろうぶ)を三ケ所に建てて弥勒寺と命名した。


※武王=百済の30代王・AD600〜641

※郷歌(ヒャンガ)=漢字の音読みと訓読みを使って表記した詩歌。
 高麗時代に衰退し現存する郷歌は25篇。  


工事中
手前の大きな建物の中では10年計画で解体・修復作業が行われている。 右手の白い塔は東塔を復元したものらしい。


■弥勒寺址遺物展示館
金銅如来立像など数々の発掘品が展示され、百済人の工芸文化 にふれることができる。こちらもぜひ見ておきたい。

●開館時間
 9:00〜18:00(3〜10月)
 9:00〜17:00(1〜12月)
●月曜・1月1日休み

●http://www.mireuksaji.org
<行き方>
(1)全州市外バスターミナルから
<金馬 (クンマ) 方面行きのバスで30分、益山ターミナル下車。
※バスは30分おき、一日に20本ほどある(W2300)

(2)益山で<金馬・咸悦>方面行きの市内バス(60番、41番)に乗り換えて30分、弥勒寺址下車
※バスは40分おき
タクシー利用は約5分(W3500程度)

●全羅北道 益山市 金馬面箕陽里104-1
●TEL 063-836-7804~6

( 弥勒寺址遺物展示館)



<参考HomePage>

History弥勒寺址
http://iksan.woorizip.com




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